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「出会いがある……校友会」「更に広げよう……同窓の輪」

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2018/09/26 サイドビジネスでワイナリー

                                             2018.9.26
                                      1970年工経卒 佐々木健兒

 土建業の株式会社郷田組の代表取締役郷田勝弘さん(1979年建築卒)がサイドビジネスでワイナリーを始めました。


 北広島町は年ごとに空き家と耕作放棄地が増大しています。田舎には都会にはない農地と山野が限りなくあります。


 郷田さんはこれを地域再開発のチャンスととらえて㈱ホッコーを設立し、ワインの製造販売に取り掛かりました。
 地元産のワインを自らで創ることを第一目標とし、約10年の試行錯誤の後、2017年に3tの収穫を得るようになりました。
 2017年には認定農業者として認定され、2018年には葡萄醸造所が完成します。
 葡萄栽培、加工、販売という6次産業化の形がこの地域に出来つつあります。


            〔新しい醸造所〕

「田舎の美観再生!」「だんだんと荒れてゆく農地を美しく甦らせたい!」との想いから、葡萄はあえて休耕田で栽培されています。
 また、栽培する園の呼名は地主の屋号や古くからの地名からつけられています。


         〔岡地畑〕                    〔森川畑〕


         〔三浦畑〕               〔ホッコーわいなり~のぶどう〕

 昨年度の支部総会・懇親会で「ホッコーわいなり~」のワインを差し入れして頂いています。
 今年度の支部総会・懇親会も差し入れして頂けると聞いています。
 支部総会・懇親会に出席し、美味しい「ホッコーわいなり~」のワインを味わって下さい!

 「ホッコーわいなり~」では販売もされています。
 ワインのお好きな方は、是非購入してみてください!

  このロゴをクリックすると「ホッコーわいなり~」のホームページにリンクします!
    






2018/07/26 ボランティア活動 -初めて参加しました-


            福山市社会福祉協議会ボランティア活動              2018.7.26
                                             川本勝一
                  -初めて参加しました-

 西日本豪雨から3週間が経とうとしていますが、被災地の状況はテレビ、新聞等で報道されているとおりです。まだまだ、被災地のつめ跡は大きく、連日の酷暑の中、被災された方々の体力も気持ちも限界状態ではと懸念するばかりです。幸いにも私は被害を受けませんでしたが、地域のすぐ傍では被災された方の多くの悲鳴を聞くばかりです。そんな時、テレビ報道で紹介していたボランティア活動募集に焦燥感に駆られ申込をしました。申込先は福山市社会福祉協議会ボランティアセンター、初めての参加になりました。

 7/26 8:20福山駅北口集合、そこから神辺福祉会館までバスで移動し100名余りの参加者と活動オリエンテーションを受けました。    参加者は我々の年代ばかりと想定しておりましたが、意に反して中学から大学生、専門学校生が多いのには驚きました。そこから4班に分かれて、それぞれの被災地に向かい、我々のグループは15名で、2名の社会福祉協議会の担当者が付きました。15名の内、3名が同年代であとはほとんどが学生でした。参加者の大学4年生は関西から急遽、帰省し数日後の就職試験(警察)の結果を心配しながら「両親に育ててもらった郷土に恩返しをしたい!」と言っていましたが、必ず就職試験に受かってもらいたいと祈念しました。それに専門学校から参加した5名の女の子達も沢山の汗と元気を被災地に届けていました。少し大げさかもわかりませんが、日本の“明るい未来”を感じさせてもらいました。また、私と同世代の一人は岡山県からボランティア活動の常連で広範囲の被災地に参加されていました。今では複数の社会福祉協議会から、本人に直接、電話及びはがきで依頼があるそうです。その方からは多くのボランティア活動のノウハウをご教示頂きました。  
 
 
 我々の班の活動は3軒の被災されたご自宅での作業になりました。主には浸水した家の周りの土のう作り、被災した畳の敷き替えと大きなタンスの移動、堆積した土砂の撤去作業等が15:00まで続きました。
 











 酷暑の中ではありましたが、参加者が一生懸命頑張る姿に刺激を受けながら、私も昔取った杵柄でいつの間にか現場監督になっていました。


















 今回の福山市社協ボランティアは一旦、終了しますが、再度募集があるみたいなので今後も参加予定でいます。ところが、ボランティア活動常連の方からは間髪入れずに明日からの岡山県総社市ボランティア活動に誘われました。 

 初めての経験でしたが、充実した一日に満足しながらいつもと違うビールの旨さを感じたのは言うまでもありません。そして、明日からは町内の副会長として、町内最大イベント夏祭りの準備~片付け3日間も旨いビールを沢山飲めそうです。

 被災、酷暑の後は台風が近づいているみたいですが、皆様におかれましてはご壮健にてこの厳しい夏を乗り越えられますようお祈り申し上げます。


〔事務局より〕
 今回の、川本さんのボランティアへの参加、災害復興に向けすぐに行動されたことに頭が下がります。
 川本さんのボランティアへの参加に刺激を受け、広島支部からボランティアへ参加される方が出ることを願っています。
 ボランティアへ参加され方がおられましたら、事務局までお知らせください。




2018/07/09 え~ 広島に行けない!

                                    S45年工経卒 佐々木健兒


2018/07/15  各地で復旧の兆し! 
 今朝の新聞を見ると、
  呉で給水本格開始!
  山陽道が全線復旧!
  ボランティア続々!
 の明るい活字が載っていました。
 近所で家内が仲良くしてもらってる人も、実家まで水を運ぶのに容器を貸してほしいと言われてました。
 そこはまだ断水が続いているようです。早く復旧することを願っています。
 家内は、私たちがボランティアに行っても、邪魔になるだけだろうしね!と言っていました。
 我々、老夫婦でも役に立てることを探していきたいと思っています。


2018/07/14  能天気な私 ! 
 大雨が降りだしてから、自分の家は大丈夫だろう!私の兄弟、姉妹の家も水にはつかるかもしれないけど大丈夫だろうと思い、安否の電話もしていませんでした。
 姪の家が山の上にあるので、家内から○○ちゃんの家大丈夫だろうか、電話して聞いてみたらと言われてましたが、なあ~に、山の下が災害に会うのであり、山の上は大丈夫だよ!と言ってそのままにしていました。 
 2~3日して、姪から家内にメールが入り、主人の実家に避難しているとのことでした。
 家内に叱られ、姪に電話して様子を聞いたところ、ひどい雨で避難したとのことでした。幸いけがはなく非難したそうですが、家までの道は寸断され、家に帰れない状態とのことでした。
 その日、姪のところに回覧板を持ってきていただくほど、近くの奥さんがぞうすいした川に流され、亡くなったとのことで今から通夜に行くと言って落ち込んでいました。
 坂町の沖で見つかったとのことです。その川から、瀬野川、海田湾と流され、海田湾から坂町沖まで流され、そこで見つかったようです。さぞかし苦しかったことと思います。
 2日後の新聞に、その方のことが載っていました。非常に明るい方で、会社でも宴会部長と言われ、山本リンダの物まねが得意だったそうです。
 姪もその方に良くしてもらってたんだと思うと涙が出てきます。


2018/07/13  いまだに続く避難指示! 
 大雨が止んでから、1週間になろうしているのに、いまだに避難勧告、避難指示が続いています。
 
 *特定の地域であり全域ではありません。
 2018年7月12日19時20分発令 広島県広島市安芸区矢野(矢野東七丁目)土砂災害警戒のため避難指示 
 2018年7月12日19時20分発令 広島県広島市安芸区土砂災害警戒のため避難勧告 
 2018年7月12日16時00分発令 広島県府中市中須町亀寿九班指示で土砂災害警戒のため避難勧告
 2018年7月09日20時00分発令 広島県安芸郡熊野町川角で土砂災害警戒のため避難指示
 2018年7月12日 7時00分発令 広島県安芸郡海田町で土砂災害警戒のため避難勧告
 2018年7月 9日13時30分発令 広島県竹原で土砂災害警戒のため避難勧告
 2018年7月11日17時55分発令 広島県広島市安佐北区土砂災害警戒のため避難指示
 2018年7月11日14時27分発令 広島県東広島市八本松町正力土砂災害警戒のため避難指示
 2018年7月11日 6時52分発令 広島県安芸郡府中町土砂災害警戒および河川氾濫警戒のため避難勧告
 2018年7月 6日 6時52分発令 広島県広島市東区福木土砂災害警戒のため避難指示
 2018年7月 7日22時45分発令 広島県安芸郡坂町小屋浦土砂災害警戒のため避難勧告


2018/07/12  広島県で夜遅くにかけ局地的に激しい雨のおそれ! 
 広島地方気象台は12日14:17、「大雨に関する広島県気象情報 第1号」を発表しました。
 広島県では所々で発達した雨雲が発生し、今後、南下する見込みとのことです。広島市、東広島市、熊野町、呉市、神石高原町、福山市では、きょう12日夜遅くにかけて激しい雨の降るおそれがあります。
 復旧作業等、屋外で活動する方を中心に、いつも以上に十分な注意が必要とのことです。
 皆さん、気を付けてください!と言っても、現場の皆様からは「気を付けてやってる!」、「これ以上どうすればいいんだ!」とお叱りを受けるかもしれません。
 でも、私にはそれくらいしか言えません!なにもできず申し訳ございません!
 今回の大雨が、こんなにひどいとは!こんなにひどくなるとは思ってもしませんでした。



2018/07/11  広島県でため池決壊のおそれ相次ぐ! 

 広島県内では、福山市と東広島市でため池が決壊するおそれがあるなどとして、周辺の住民に相次いで避難指示が出されました。
 
 *福山市瀬戸町にある「小池」というため池で、通常の放流量を上回る水が流入し、あふれ出るおそれが出たため午前8時41分に周辺の25世帯、63人に避難指示が出されました。
 
 *福山市神辺町東中条では「佐光大池」というため池の一部が崩れ、決壊するおそれがあるとして、午後3時41分付近の30世帯90人に避難指示が出されました。いずれもため池の排水作業が進められています。
 
 *また福山市の神辺町西中条では、ため池が決壊したという情報があり、一時避難指示が出されました。市の職員が確認した結果、この地域に4か所あるため池のうち3か所が決壊して、水が流れ出ていましたが、周辺への被害は無く午前11時46分に避難指示は解除されました。
 
 *一方、東広島市の河内町中河内でも、「正反田池」というため池が決壊するおそれがあるとして、一時周辺の住民に避難指示が出されましたが、安全が確認されたことから午後5時35に解除されました。
 *東広島市の八本松町正力の一部にも11日、避難指示が出され、市は当初、ため池から水があふれたという情報があるとしていましたが、その後、ため池ではなく土砂をせき止める施設が関係していたことが確認されたということです。

 県は「ため池が近くにある地域では、水路の水が急に濁るなど異常を感じた場合は、自治体などに連絡するとともにすぐに避難してほしい」と呼びかけています。

 西日本を襲った今回の大雨による災害はまだ終わってはいません。引き続き気を付けましょう!



2018/07/10  府中町榎川氾濫 
 10日午前、広島県府中町を流れる榎川で、上流から流れてきた土砂や流木が川をせき止め、水があふれ出しました。
 上流で土石流が発生した可能性があり、町は住民に避難指示を出し、安全の確保を呼びかけています。
 10日午前11時すぎ、府中町本町3丁目付近にある寺山橋で上流から流れてきた大量の土砂や流木が川をせき止め、水があふれ出しました。
 水は近くの住宅街に流れ込み、町は1万377世帯、2万3516人に避難指示を出し、午後4時半現在、町内の7か所の避難所におよそ370人が避難したということです。
 川の周辺には小学校や幼稚園などがありますが、子どもたちは、職員などの誘導で無事避難したということです。良かったです。
 雨もやみ、空は晴れており、みんな安心して油断があったのではとのことです!

〔橋に土砂やがれきが切っかかりダムになってしまった!〕

〔晴れているのに川が氾濫!〕



2018/07/09  え~ 広島に行けない!
 7月5日から降り始めた雨がその後記録的な大雨となり、各地に大きな被害をもたらしています。
 豪雨による被害者の数は増え続け、9日現在、13府県で死者は126人、心肺停止が2人、行方不明や連絡が取れない人は79人となっており、平成最悪の豪雨被害となっています。
 特に広島県では大きな被害をもたらし、死者46人となっています。
 亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
 皆さんのお家は大丈夫ですか?
 何かございましたら、事務局佐々木(090-4106-7080)までご連絡下さい。
 
 能天気な私は、広島で大雨が降っており、災害ニュースが入っているにも関わらず、まあ、土日であり、月曜になれば広島にも行けるだろいうと、呑気に構えていました。
 ところが、月曜日(7/9)になってみると、一般道路国道2号線はもちろんのこと、山陽自動車道、東広島呉道、ことごとく通行止めです。
 山陽本線もダメ、東広島は陸の孤島になっていました。
 でも、少しずつではありますが、復旧されているようです。
 頑張りましょう!

〔至る所で川が氾濫しています!〕


〔道路も決壊しています!〕


〔国道2号線も決壊〕
 復旧までに時間がかかりそうです。東広島⇔広島間の交通に大きく影響します。


〔海田大正交差点付近〕
 水没しています。私が以前住んでいたところの近くです。







2018/07/04 夏山登山トレーニングに参加しました!

                                    S49年建築卒 川本勝一


 私は今年の4月から「福山山岳会」へ入会しました。福山山岳会は今年で100周年を迎える会です。
 6/24に参加した山行を紹介させて頂きます。

 福山山岳会:夏山登山トレーニング 比婆山(1,264m)(庄原市西城町/地図: 比婆山)









〔比婆山紹介〕 → ウイキペディアより
 比婆山(ひばやま)は、日本神話においてイザナミが葬られたと記される地である。
 古事記において「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国(現在の島根県)と伯伎の国(伯耆の国)(現在の鳥取県)の堺、比婆の山に葬りき」と記される。
 イザナミの墓所の伝承地は、日本神話に記される比婆山や熊野市有馬のほか、雲伯国境を中心として日本各地にある。
 宮内省は八雲村(現 松江市)の神納山を比定地の中で最も有力として「陵墓参考地」に認定し、内務省は船通山の北にある御墓山を「伊弉冉尊御陵流伝地」に指定していた。
 しかし、近世以降、古事記解読に初めて成功した本居宣長の古事記伝の話と、鉄製品を作る最良の砂鉄の産地は雲伯国境地帯であることから、島根県安来市伯太町のもの(比婆山久米神社)が支持されていた歴史があり、江戸時代、母里藩の古地図にも峯山大権現と記されているのが確認されている。
 さらには当地に伝承されてきた、たたら製鉄でつくり出される玉鋼は日本人の魂の象徴とされる日本刀の創始(安綱)ともかかわりが深く、最近では安本美典がこれら諸説を文献学的に比較し、島根/鳥取県境に最も近い安来市伯太町の比婆山を比定している。
 広島県庄原市から島根県仁多郡奥出雲町境にある比婆山は現在国定公園に指定されている。




2018/06/17  34日間、弘法大師と四国八十八ケ所巡礼の旅

                                   S49年建築卒 川本勝一


  34日間、弘法大師と四国八十八ケ所巡礼の旅

             1回目スタート 平成30年4月16日~5月10日(25日間)
              再スタート    同 5月21日~5月29日(9日間) 延34日間
                                          平成30年6月吉日
                                             川本勝一

<動機>
  巡礼とは、 日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする
 宗教的行動であり、遍路はお大師さまとともに歩み、自分自身を見つめ直す修行の旅と言われてます。
 私は格別な宗教心も無く、この度の四国霊場八十八ケ所巡礼も誰から言われた訳ではありませんが
 昨年12月に他界した「母の供養」として、自然に気持ちが動きました。 
  自然とは言え、母がそうさせたように思う二つの点があります。
  まず一つ、母は第85番札所(八栗寺)へ「お札」を頂くために毎年お参りをしていました。私が物心ついた頃には一
 緒に連れて行かれていましたが、当時は新幹線も瀬戸大橋もなく、汽車と宇高連絡船(宇野⇔高松)の長旅でした。
 そして私が社会人になってからは車で2時間余りと近くなり、今から少し前までは参道のお土産店で母が買ってくれ
 る「おもちゃ」を楽しみに私の子供も孫もお供していました。
  もう一つ、母の生家は第88番札所(大窪寺)から第1番札所(霊山寺)に向かう遍路道沿いにあります。
  母から、「八栗寺」と「実家の先祖」に報告するように言われているような気がしていました。

<計画>
  四国八十八ケ所巡礼はどこから始めても、どこで終えても、どんな手段で廻っても自由。宗教も人種も問わず、
 誰でも暖かく迎えて頂けるそうですが、まずは遍路の勉強として関連の本を読みながら、行き先の観光協会
 (33市、町)へまつわるパンフレットをお願いしました。新聞のチラシ広告「四国八十八ケ所霊場めぐり」のバス
 ツアー説明会にも参加し、「歩き遍路は年の数に万(ちなみに私は67万円)だけ必要、バスツアーなら20万余りで
 巡礼が可能」 当然ながらメリットを強調していました。
 そんな折、母の法要に際し伺った佐藤仏具店(昔から母がお気に入りの店)から四国巡礼された方の記録「私の四国
 遍路ひとり旅」を頂きました。その方は42日間全て歩いて「通し打ち」をされていましたが、そこに書かれた素晴
 らしい内容に感動を受け、歩いて廻る事に決めました。私は2度に分けて、「区切り打ち」とし、スタートは花粉が
 少なくなる4/16に決め、5/中旬に所用でいったん自宅に帰り、5/21再スタートとしました。

  ※「通し打ち」  四国八十八ケ所の霊場すべてを一度に巡礼してしまうこと。 
   「区切り打ち」 霊場を何度かに分けて少しずつ巡礼すること。
   「打つ」    霊場に参拝・納経する事。
           昔は板に書いた納め札をお堂に打ち付けていったことに由来する

<準備>
  遍路用品は勿論、佐藤仏具店でご指導を受けながら「白衣」「金剛杖」「納経帳」「納札」を支度し「輪袈裟」
 「数珠」は母の形見、「四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編」「さんや袋」は現地で揃えました。特に「四国遍路
 ひとり歩き」の本は第1番札所で購入しましたが、最後まで手放せない優れもので、遍路道・宿・コンビニ・距離等
 が詳細に載っています。
 そして、母の法要でこの度の巡礼を住職に相談し、「納札」に母の戒名を
 書く事にしました。それと10年前に母と第85番札所で一緒に撮った写真を
 バックに背負って一緒に歩く事にしました。ちなみに我家は曹洞宗で、四
 国八十八ケ所は殆どが真言宗(唯一、第15番札所だけが曹洞宗)ですが、
 遍路にはあまり宗派に関係なく巡礼されているようです。




      ※「四国遍路ひとり歩き同行二人[地図編]
 
          著 者  宮 崎 建 樹
          発行所 社団法人へんろみち保存協会
                 TEL・FAX089-945-0108
          定 価  \2.500円(税別)






<徳島県:発心の道場>第1番札所~第23番札所  4/16~4/22
  4/16いよいよスタート JR福山駅5:50発⇒JR阿波大谷駅9:43着、そこから旧撫養(むや)街道の風情を味わい
 ながら、第1番札所の番外霊場「東林院」「十輪寺」を経て発願の寺「第1番札所(霊山寺)」に着きました。
 そこは多くの巡礼者のスタート場所、巡礼用品取扱所もあったりで賑わっていました。
 初日は参拝の作法等で慣れない中、なんとか「第6番札所」の宿坊までたどり着きました。
 ここは安土桃山時代に遍路や旅人のための駅路寺と定められて以来、400年の歴史を持ち、当日はバスツアーの多くの
 巡礼者と一緒になりました。夕食の精進料理を頂いた後、お勤めがあり普段は立ち入れない本堂の奥で法話・読経・
 祈願の体験に巡礼の雰囲気を味わう事が出来ました。そして、宿坊内の弘法大師ゆかりの温泉「弘法の湯」が疲れを
 癒してくれました。
  

  2日目は歴史を感じる旅館で年配の女将が迎えてくれました。泊りは私だけでしたが、汗まみれの衣類を洗濯、
 乾燥までして頂き、早朝には部屋の前に用意してありました。感謝! 感謝!

  3日目は鮎喰川沿いのキャンプ場に併用した簡易なバンガ
 ロー(3畳位のスペース)で、辺りは真っ暗で何にもなく、
 夜は川と虫の音しか聞こえない寂しい中、薄い毛布に寒くて
 震えながら夜を過ごし、夜明けとともに退散。
 宿の話はこれくらいにして・・・・・
 遍路を泣かせる険しい山道の事を「遍路ころがし」と呼ば
 れていますが、阿波には「一に焼山(第12番札所)、二に
 お鶴(第20番札所)、三に太龍(第21番札所)」と言われ
 る三ケ所の難所があります。まず、一の難所第12番札所は
 第11番札所の境内からいきなりH700mの厳しい山道で、
 なんとか4時間20分で登り切りましたが、ここから一旦下山
 した後の玉ヶ峠H455mは疲れもあって相当苦戦しました。
 そして二つの難所に向かう5日目は第18番札所の傍をスター
 トし、第19番札所で「さんや袋」を購入し、二のお鶴
 (第20番札所)、三の太龍(第21番札所)をクリアーして、第22番札所に隣接する宿に着きました。そこでは7名の
 お遍路と一緒になり、夕食時に10回以上巡礼の逆打ち2名から「第18番から第22番まで一日で歩いた人は聞いた事が
 無い!健脚!」とお褒めを頂き、もっとバックの荷物を軽くするようにアドバイスもありました。
 ちなみに私のバックはベテラン組の倍の重量(約10kg)でした。ただ、同席していた今回が初めてのお二人は「遍路
 ころがし」で足を痛め、残念ながらここでリタイヤすることになりました。
  

  ※「順打ち」四国八十八ケ所を順番どおりに巡拝し、四国を時計回りに移動する。
   「逆打ち」四国八十八ケ所を逆順に巡拝する事だが「順打ち」に比べ歩きにくく、厳しい 道のりから功徳が
   大きいと言われている。 閏年に歩くと弘法大師に会えると信じられ、「逆打ち」は4年に一度とされている。


<高知県:修行の道場>第24番札所~第39番札所  4/22~5/3
  第23番札所から第24番札所までは76.4㎞と長く、7日目は
 札所を打つこと無く、今回最長距離45.2㎞を10時間歩いて
 ばかりになり、強い日差しも相まって気力・体力とも限界
 状態!この間の歩きは国道55号、鉄道も途切れているので
 車の往来が多く、何処まで行っても左は室戸阿南海岸、右は
 山、民家もない中、宿泊先のオーナーからは「宿の手前10㎞
 余り、コンビニは勿論、自販機も無いから気をつけて!」と
 警告を受けていましたが、用意した飲み水も底をつき、道路
 沿いの山からの湧水に助けられました。
 室戸岬を過ぎた所まで続いた好天気も9日目に最悪の場所で
 豪雨に見舞われました。そこは第27番札所(神峯寺)の遍路
 泣かせの道。平地から一気にH430mの急勾配は「まっ縦」
 と呼ばれ、遍路道を走る雨水にスリップはするし、優れた防
 水仕様と聞いていた靴もカッパも効果はありませんでした。

 機嫌を直して、11日目の第30番札所から第31番札所の道中
 は以前、「よさこい踊り全国大会」へ妻と一緒に10年連続
 出場した高知城周辺に最接近します。折角ここまで来たので
 踊った場所に寄れればと期待していましたが、かつての思い
 出に浸る余裕はなく、先を急ぎました。というのは第32番札
 所の後、第33番札所を打つには1時間に1本しかなく浦戸湾
 の渡船をクリアーしなくてはならない。

 こんなに頑張って急いでも、高知では他県より多い12泊
 (全33泊)の宿泊になりました。修業の道場と言われるだけ
 あって第37番から第38番までの81.6㎞をはじめ、13日目の
 七子峠を越えて第37番札所へ向かう「そえみみず遍路道」
 では足指4カ所を爪内出血し、まさに厳しさの証となりま
 した。

 でも、弘法大師は素晴らしいご褒美を用意してくれていまし
 た。18日目、高知の最後の難所:松尾峠を超えると愛媛です
 が、峠を降りたところで今回最高の感激がありました。












<愛媛県:菩提の道場>第40番札所~第65番札所  5/3~5/10 5/21~23
  それは峠越えをした‘お遍路さん’に対し、「お接待」が待っていました。
 これは愛南町(旧一本松町)婦人会十数名の皆様が毎年5/1
 ~3おにぎり、ぜんざい、そば、煮しめ、果物等の手作りを用
 意されていました。お接待を受けたら「納札」を渡すのが作法
 ですが、そこに書かれた私の住所を見られたご婦人から懐かし
 そうに声をかけられました。なんとその方は母が可愛がってい
 た看護師仲間で我が家にも頻繁に出入りされ、当時その方が20
 歳、私が17歳の頃でした。夏目漱石「坊ちゃん」のマドンナの
 ような存在で「私が今でも名前を忘れられないくらい、当時は
 綺麗でしたネ!」の一言に「だって、その頃は○○キロでした
 から!」とお叱りを受けました。50年振りにも拘わらず母の名
 前を憶えていて頂いたのに「バックの母の写真と供養」の報告
 になりました。お互い万感胸に迫るものを感じながら、きっと
 母が逢わせたと話しました。周りで聞かれていた皆様も驚きな
 がら二人を写真に収めて頂きました。

 さて、平地が多い高知に比べ、峠が多いのが愛媛でした。22日目、H790m鴇田(ひわた)峠越えの第44番札所は総門
 から境内まで20分、H730m八丁坂越えの第45番札所は岩壁に張り付くように建ち、この久万高原の2つの寺は修業の
 寺と思わせる雰囲気を漂わしていました。この日と松山市内に入った次の日はあいにくの雨で服も気持ちもずぶ濡れ
 状態でしたが、いずれも遍路宿の心温まる対応に癒されました。


 松山市内の8札所を一気に打ち終え、やっと自宅に帰れる
 25日目、伊予北条から瀬戸内海沿いを歩きながら遠くに浮かぶ
 しまなみを見ているうちに瀬戸内しまなみ海道の橋が見えたと
 きには涙が出そうになるほど安堵しました。残った全ての体力
 を使い切る気持ちで今治に入り市内6札所(第54番~第59番札
 所)打ち終え、第59番札所最寄りのJR伊予桜井駅から今治
 駅、しまなみライナー高速バスで家路につきました。
 迎えに来た家内がねぎらいの言葉よりも先に「戦地から帰って
 きた兵隊みたい」と言うくらい、顔もやつれて体重も5キロ落
 ちていました。
 それから10日間は用事を済ませながら、体調回復と筋肉痛のケ
 アーに努め、延26日目5/21、しまなみライナー高速バス福山
 駅7:00発⇒今治駅⇒JR伊予桜井9:11着、帰った時と同じ場
 所から再スタートしました。

 当日はいきなりH745mの第60番札所(横峰寺)、十分充電
 したはずの体は意に反して重く、宿に着いたのは今までで一
 番遅い18:15、既に遍路さんは夕食されていました。

 不安が残る中、28日目は札所の中で最も高所H911mに建つ
 第66番札所(雲辺寺)を打つことになりました。前夜の遍路
 宿6名の内、私だけが第66番札所を超えた先の宿、他の方は
 手前の宿を確保されていました。長く遍路宿をされている女
 将も「ここから第66番札所越えは無理、年間にたまに超える
 人はいるが必ず5時前に宿を出る!」と警告を受けました。
 当日はあいにくの雨、朝食後6:20に覚悟して歩き始めた直
 ぐ先の自宅前で数珠を持った年配のご婦人が待ちかねたよう
 に「これで、飲み物でも」とお金を渡されました。
 それから、第65番札所でも女将同様に納経所の方も「今から
 (AM10:30)では第66番峠越えは無理! 
 9時前にここを出ないと駄目!それに照明ライトがないと危
 ない!」
 そんな事を言われても、バックを出来るだけ軽量化するため
 に「照明ライト」「医薬品」「衣類」他を再スタートの時、
 自宅に置いてきました。

 皆さんの心配をよそに、峠越え40.6㎞の厳しい一日になりま
 したが第66番札所を打ち、16:40には予定どおり宿に着き
 ました。 

 そして、今朝ほど数珠を持ったご婦人から頂いたお金は第66
 番札所に納めさせていただきました。



   


<香川県:涅槃の道場> 第66番札所~第88番札所  5/23~29 
  最後の県、香川は6泊と高知の半分ですが、札所は高知の16より多く23、よって札所の参拝時間(約30分/札所)が
 多くなり、一日に歩く距離も他県よりも少なくなりました。特に29,31日目は5札所、30日目は7札所の忙しい参拝が
 続きました。その内、第75番札所(善通寺)は弘法大師誕生地だけあって巡礼者をはじめ大型バス等での観光客で
 賑わい、境内も広く参拝に1時間近くかかりました。

 そして32日目、今回一番思い入れのある第85番札所(八
 栗寺)では母の写真を背負って報告出来ました。母や子供、
 孫と一緒に年始参りをした時の記憶を走馬灯のように思い起
 こしながら、時が過ぎ去って行くのを感じる感慨深いひと時
 になりました。

 それから、第86番札所の途中にある「真念」ゆかりの<愛染
 院>に立寄りました。「真念」は「遍路の父」と呼ばれ江戸
 時代初期に四国八十八ヶ所史上初の案内本「四国遍路道指南
 (しこくへんろみちしるべ)」の作者であり、運よく居合わせ
 た総代から「真念」にまつわるお話をたくさん頂きました。
 それに、飲み物・お菓子のお接待まで受けました。 


 33日目は前山ダム横の前山おへんろ交流サロンで歩き遍路
 限定の「四国八十八ケ所遍路大使任命書」と「同行2人バッ
 ジ」を頂きました。







 
 
 前山おへんろ交流サロンから険しい遍路道H774m女体山を
 越えて、「結願」の札所 第88番札所(大窪寺)に11:50
 到着しました。

 ここから、3時間余りで母の実家で待つ叔父に挨拶が出来、
 叔父と一緒に先祖墓に眠る母の両親に報告が出来ました。
 この日は勿論、母の生家にお世話になり、叔父に母の話を
 する事で天国の母も満足してくれたと思います。

 最終日34日目は朝8:00に叔父の見送りを受け、30㎞先の
 第1番札所を目指しました。
 今回最後の難所H380大阪峠(香川と徳島の県境)を越え、
 15時過ぎにやっとスタートした第1番札所(霊山寺)に到
 着し、「満願」を果たせました。  

 ※「結願」とは第1番(どこからでも構いませんが)から
   第88番までの巡礼
  「満願」とは結願後、スタート札所まで一周



  霊山寺には近くに在住(香川県東かがわ市)の1年後輩が
 迎えに来てくれていました。
 彼は東京での学生時代に新入生として私の隣室にやってきま
 したが、偶然にも叔父(母の弟:中学教師)がクラス担任で
 あり、恩師としてお世話になったという事でした。
 それ以来の付き合いですが、四国には不思議な事が多いよう
 に感じますが・・・・・・・・・・  これもひとえに
 弘法大師がなせる力?
 四国のある方が、「南海トラフによる津波も四国は大丈夫!
 現在も聖地・高野山で瞑想を続けている弘法大師が守ってく
 れる?」 そうです。





<お接待>
  多くの「お接待」に、疲れ切った体&気持ちが幾度となく
 癒されました。歩いていると急に家から出て来られて「冷たいジュース飲んで!」、バイクで買い物帰りに「バナナと
 トマトをお接待させて!」(折角買ったのに申し訳ありません)、おじいちゃんの運転する車窓からお孫さんが「お遍
 路さん、頑張って!」と励ましのコメント付きのお菓子、かなりの年配者から「わしの分まで頑張れ!」と栄養ドリン
 ク、ミカン収穫の車から「重いけどバックに入れて」とミカン、ご自宅の建物の一部をお遍路休憩所として提供し「飲
 料、お菓子他ご自由に」、信号待ちをしていると車中で合掌をしながら道を譲って頂いたり、若い女性がいきなり駆け
 寄って「お菓子、食べて!」と多くの方から元気を頂きました。
 白衣、金剛杖に刻まれている 「同行二人」とは、四国八十八ケ所巡礼の間、いつも弘法大師が見守ってくれている。
 いつも弘法大師と一緒の二人旅であるという四国遍路の心得。
 四国の人々のお遍路さんに対する優しさは「私は所用でお参りできませんが、代わりに宜しくお願いします」と私と
 一緒の弘法大師にお願いされているのが「お接待」と心して頂きました。

<一期一会>
  巡礼中の一期一会の貴重なお話に励まされました。
  ◆1~6日目、川崎市の26歳女性は保育士を休職し、年配者の多い中で目立ってました。女性はスマホを活用しなが
   ら公共機関と歩きを併用していましたが全てが歩きの私と行く先々で出会い、一度だけ厳しい遍路道で2時間余り
   一緒しました。私も昨年から老人会に入り、昔若かった女性と話す機会は増えましたがこんなに若い子と同行した
   遍路道は楽しいひと時になりました。
  ◆7~16日目、大阪のS26生の方(7回目の巡礼、普段はスポーツクラブでランニング練習をしているタフマン)は
   7日目の宿で一緒になり、それ後の宿は別々だが10日間に亘り時々札所で逢いました。お互い意識するようにな
   り、13日目の早朝に再び会ったのを機会に、終日ご一緒する事にしました。この日は歩行距離41.4㎞で「そえみ
   みず遍路道」の厳しいコースで、必死に負けまいとしたせいで足指4カ所が内出血しました。
  ◆8日目、松山市の65歳の方は歩き4回、車6回、自転車2回巡礼、仕事をされながら今後も続けて巡礼すると「お四
   国病」にかかっていました。何か困った事があればという事で連絡先を渡され、私の緊急サポート窓口として宿、
   遍路道情報等に随分助かりました。遍路から帰ってからも時々情報交換しています。
  ◆10日目、地元高知の52歳は、自転車から道案内をしなが弘法大師にまつわる逸話を沢山教えてくれました。
   お母さんの介護先に見舞いに行くと言いながら、10㎞以上にわたってお付き合いして頂きました。歩いているの
   を忘れるくらい楽しい方でした。
  ◆13日目、若いフランス女性は、自転車でキャンプしながらの巡礼、自転車から私に「これ食べて」とチョコを渡
   し、「よい日でありますように!」と片言の日本語で格好良く去って行きました。ある20代のフランス女性が書
   いた「四国巡礼の本」がベストセラーになったそうで、ヨーロッパ人を多く見かけました。
  ◆22日目、名古屋のご夫婦は仲睦まじく歩き遍路されていたので声をかけたら、その日の宿が一緒でした。ご主人
   は定年退職されてましたが、奥様の仕事の関係で5年前から7回目の区切り打ちで「一日20~25㎞を目安に主人が
   私のペースに合わせてくれる」と惚気てました。
  ◆23日目、鹿児島の55歳の方は全て車で巡礼されてました。九州から船で四国に亘り、車中泊をしながら今回が
   35回目、還暦までに50回(金色の納札)を目指すと言われながら、車中の様子を説明してくれました。
  ◆26日目、北九州の35歳の方は足が少し悪いと言いながら自転車で巡礼4回目、尾道まで新幹線で来て、しまなみ海
   道をゆっくり楽しみながら10時間かけて渡り、これから3週間位で四国巡礼すると意気込んでいました。
  ◆26日目、38歳独身の韓国の俳優とは半日、一緒に歩きました。日本語も流暢で英語も話せると言ってました。
   4/1から四国八十八ケ所と別格二十霊場も巡礼していましたが、将来の韓流スターは今回の巡礼で何かをつかんで
   ソウルへ帰り、オーディションに挑戦するそうです。
   ※そう言えば遍路道で《早く歩くか ゆっくり歩くか なん日で廻るか なん回廻るか そんな事よりしっか
    り歩け そして何かをのこせ
が所々、掲示されてました
 
 

  ◆31~32日目、五色台(高松市内)に残る江戸時代から
   の旧遍路道の山中で道に迷った23歳学生と一緒になり
   ました。彼は京都の美術大学休学中、仏道&お寺に興
   味があり、遍路していました。昨日、溝で泣いていた
   子猫を助け、ペットショップで専用バックを仕入れ、
   餌はコンビニで買っていました。 本人は野宿か善根宿
   で苦しい財布の中身にも拘わらず、子猫を見捨てられな
   い優しい青年でした。
 
 
 
 
 
 
 
  ◆32日目、早朝にその学生と一緒に歩いていたのは倉敷のS24年1月生古希を迎えた方で、「昨夜はこの学生と二人
   で善根宿にお世話になったが、基本は野宿、100円ショップの床マットとユニクロ購入の安い防寒着で屋根さえあ
   ればどこでもOK」と、たくましく語られていました。 まさにその方こそ本物の‘お遍路さん‘ 少しだけ3名で一
   緒に歩きました。
  ※「善根宿」遍路が無料で利用できる宿。この度、お二人が泊まった宿は老夫婦ご自宅の一室を無料で提供し、夕食
   と昼のおにぎりもお接待、ただし事前に厳しいヒヤリングがあるそうです
  ◆28日目~34日目、神戸のS24生の方とは2か所の宿が同じになり、札所でも時々会いました。 普段は山登りと
   自転車でトレーニングし、山登りでは12時間以上休みなしで歩かれているそうです。この度の遍路速度も1㎞を
   13分、登りも下りも同じペースで休みなしで歩かれていました。

  その他、石川の小児科医師、千葉のS17生の現役弁護士、名古屋から元キャリア80歳過ぎのご夫婦、城崎66歳の、
  明るく元気な女性などなど皆さんから楽しい時間と元気を頂きました

<まとめ>
  ◆ 一日のタイムスケジュール
    事前計画は朝食7:00、スタート7:30、宿着17:00でしたが
    実際に現地では起床5:30、朝食6:00、チェックアウト6:20、チェックイン目標16:00頃、
    入浴17:00、夕食18:00~19:00(同宿泊者と情報交換共)、就眠20~21時 
    チェックイン後、金剛杖の手入れ、靴のケアー、洗濯(雨の日は大変)、翌日に必要な札所の納札・ロ
    ウソク・線香・賽銭のチェック・補充、歩くルートの確認(再度、夕食時に情報収集)
    昼食は殆どがコンビニでお世話になり、時間次第ですがそこで食べるか山中での食材確保

  ◆ 延34日間:検証
    歩いた距離(遍路道優先の歩行)計 1153.7㎞(33.9㎞/日) 
    歩いた時間(食事&札所内での時間は含まない)計 266時間(7.8時間/日
    1時間当たりの平均歩行速度 4.34㎞

<最後に>
  今回は初めての巡礼、今から思えば少し欲張りな計画に苦戦したり、多くの想定外の出来事に戸惑いましたが成果と
 してはほぼ予定通り事故も怪我もなく終える事が出来ました。その一番の要因は行く先々の‘お遍路‘対する地元の皆様
 のやさしさ、同じ巡礼者から頂いたお言葉、遍路宿オーナーの心温まるお気遣いのお蔭です。特に1.200㎞と言われる
 遍路道で何十人いや何百人の方に道を尋ねたか知れませんが、どなたも手を止め、足を止めて丁寧に教えて頂き、
 「お気をつけて、頑張って!」のお言葉も添えて頂きました。
 そして、先人が築いたフィールドの賜物です。それは雲辺寺の峠を越えたところにあった掲示そのものでした。

  《―へんろみちー 四国八十八ケ所のへんろは西国三十三ケ所とともに、お伊勢まいりを筆頭として、地方
  地方にみられる七カ所まいりなど信仰と旅の出会いのかたちの中でも際だったもののひとつであるといえ
  ます。へんろのための道、つまりへんろ道は、長い月日と、数えきれないほどの名もない人々が、それぞ
  れの思いをこめて歩いた道なのです。いいかえればそれは、人々の足と手でつくった道であり、まさに自
  然と人間との対話の道であるといえる。   昭和62年3月 香川県 》
  先人に感謝!感謝!

 多くの方々のお蔭で四国八十八ケ所巡礼を終え、「納経帳」と「御影札」を仏壇に納める事が出来ました。これで「母
 の供養」が終えたわけではありませんが、母からの宿題が一つ終えた感がしています。
 改めて今回の長く厳しい巡礼を無事に出来た事に弘法大師と母に感謝します。
 そして、34日間心配をさせながら、励ましの声とメールをくれた妻と子供たちからも力をもらいました。 
 ただ、心配なのがこの度の旅で「お四国病」のウイルスに感染したかも知れません。来月の定期診断で調べてもらお
 うかと思っておりますが、この病気は無理に直す必要はないとも言われいるようです。
 
  最後に、今回の「34日間、弘法大師と四国八十八ケ所巡礼の旅」を皆様に

  ご紹介する事で、旅の期間中にお世話になった方々に対し、感謝の気持ちが

  少しでも伝われば幸いです。

    四国八十八ケ所の札所一覧
    検索サイトによっては表示が遅れます!
    なお、「四国八十八ケ所の札所一覧」は、エクセルシートもあります。
    ご希望の方は、川本副支部長または佐々木までお知らせ下さい。


 <納札>
  「納札」は、参拝した寺院に納めるお札のことで、遍路特有のもの。
 「納札」を本堂と大師堂に一枚ずつ「納札入れ」に一枚づつ入れ、参拝した
 ことを仏様に伝えるという意味があります。
 
 「納札」には住所、氏名、参拝年月日などを書きます。また、裏面に願い事
 を書いて納めることもできます。

  お遍路中に「納札」を使う場面がもう一つあります。
 それは、お接待を受けた時です。地元の人がお遍路さんに無償でお菓子を施
 したり、道案内等の‘お接待’を受けたらお遍路さんは納札を渡します。

 「納札」には、下に「同行二人」と記載されています。「同行二人」とはお
 遍路がお大師さまと二人ずれという意味です。遍路では一人で歩いていても
 常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。

 また、納札は順拝回数によって色が異なり、1~4回は白、5~7回は青、
 8~24回は赤、25~49回は銀、50~99回は金、100回以上は錦となってい
 ます。




















2018/03/27 ぶらり一人旅

                                  S45年工経卒 佐々木健兒

 箱根駅伝出場に絡み、豊洲図書館において、箱根駅伝特別展示が開催されているということで、2泊3日のぶらり一人旅を計画しました。
 計画は、前日バレー部OBの仲間とゴルフ、翌日に豊洲図書館に行き駅伝特別展示を閲覧、それから高尾山の登山(ハイキング)するという予定を立てました。
 月1回の頻度で、御殿場(足柄森林カントリー倶楽部)でゴルフをやっているということは聞いていましたので、早速電話をし、3月26日(月)のゴルフに参加することにしました。

〔1日目〕
 特に予定は設けず、鶴見にあるホテルへ直行しました。

[飛行機からの富士山]
 
 好天で飛行機から富士山がきれいに見えました

〔2日目〕
 朝7時待ち合わせの場所(東神奈川)に行き、そこで拾ってもらいゴルフ場に直行しました。
 好天で、富士山もきれいで最高の1日になりました。
[富士山を背景に集合写真] 


[富士山を眺めながらのプレー] 
 
 
〔3日目〕
 3月27日朝、ホテルを出て豊洲に向かいました。方向音痴の私は、予め電車の乗換等調べていたのですが、有楽町で地下鉄東京メトロ有楽町線を探すのに迷ってしましました。
 地下鉄東京メトロ有楽町線まで案内が出ていると思ったのですが、それがなく駅から出たら「どこに行けばいいの…」
 JRの清算所で尋ねたら、「何線ですか?」と聞かれ、「えー?」
 「豊洲に行きたいんです」
 「それなら、そこの建物に沿って行けばあります。」
 その建物に沿っていったのですが、すぐには見つけられず、何度かウロチョロし、やっと入り口を見つけることができました。
 豊洲キャンパスで受付をし、図書館に電話をいれて8階の図書館に行き、駅伝特別展示を閲覧、図書館内を見学しました。

[箱根駅伝特別展示]
 

[豊洲図書館内]
 

[Team Birdman Trialの展示]

芝浦OB中村航さんの原作で土屋太鳳主演「トリガール」のモデルになった「Team Birdman Trial」が展示してあり、その前で写真を撮りました。


〔高尾山〕
 図書館内を見学を終え、高尾山に向かいました。
 高尾山に上るのは4回目となりますが、今回は時間も少なく、体力も衰えていると思い、ケーブルカーを利用し、1号路(表参道コース)で登りました。
 ケーブルカーを降り、男坂の石階段を登りましたが一気に登ることはできず、手すりを持ちながら、何度か休みながらやっと登りました。
 頂上までの道は整備されており、直に土を踏むことなく頂上まで登ることができました。
 帰りは、4号路(吊り橋コース)を通って下山しました。

[高尾山駅前の案内板]


[ケーブルカー高尾駅]


[日本一勾配のあるケーブルカー]


[男坂]


[高尾山山頂]


[吊り橋]



〔その他の写真〕



2018/03/21 校友会 第8代会長 新甫八郎氏の半生ドラマ

                                  芝浦工業大学 校友会本部からお知らせ

 芝浦工業大学校友会第8代会長 新甫八郎氏の半生を綴ったドラマが放送されますので是非ご覧ください。
 
 NHK総合
  3月24日(土)午後9時~午後10時15分
   特集ドラマ どこにもない国(前編)「命をかけた満州からの脱出」
  3月31日(土)午後9時~午後10時15分(予定)
   特集ドラマ どこにもない国(後編)「命をかけた満州からの脱出」

  特集ドラマ どこにもない国
  どこにもない国
 

【番組内容】
 昭和20年。満州で丸山邦雄(内野聖陽)は終戦を迎えた。150万以上の日本人はソ連占領下の満州で略奪や暴行にさらされ、飢えと寒さの中、多数が命を落としていく。新甫八朗(原田泰造)、武蔵正道(満島真之介)とともに祖国日本に訴えるため満州脱出を決意する丸山。妻・万里子(木村佳乃)は後押しするが、新甫の妻・マツ(蓮佛美沙子)は危険な行動に不安を隠せない。脱出に踏み出す3人を次々と絶体絶命の危機が襲う。

【あらすじ(前編)】
 昭和20年8月、満州。
 丸山邦雄(内野聖陽)は進駐してきたソ連軍に身ぐるみをはがされ、敗戦の現実の前に妻・万里子(木村佳乃)と子供たちをどう守るのか途方に暮れる。
 略奪や財産の没収は日常的となり、日本の民間人は脱出行の過程で多くが襲われ、さらに栄養不良、伝染病の流行で次々に命を落としていく。
 このままでは、150万を超える在満日本人は死に絶えてしまう。
 丸山は日本への引き揚げを祖国に訴えようと決意。新甫八朗(原田泰造)、武蔵正道(満島真之介)を加え、満州を脱出する計画を立てる。
 建設会社社長の新甫は資金豊富で肝がすわり、武蔵は中国語が堪能で現地の内情に通じる。
 そして、抜群の英語力で強い信念を持つ丸山、理想のチームの誕生であった。万里子は夫の決意に同意するが、新甫の妻・マツ(蓮佛美沙子)は無謀な計画に不安を募らせる。
 家族を残したままで、ついに3人の脱出行が始まる。
 襲い掛かる数々の絶体絶命の危機を乗り越え、日本にたどり着くことができるのか!


【あらすじ(後編)】
 満州から帰国を果たした丸山たちは占領下の日本政府に権限も力もないことに憤りながら、世論を盛り上げるキャンペーンを繰り広げ、引揚げの実現を訴え続ける。
 一方、大連に残された万里子とマツは夫たちの消息がまったくないまま、必死に子供たちを守っていた。
 マツは夫・新甫は死んだのではと疑うが、万里子は懸命に励ます。
 やがて丸山のラジオ演説が遠く大連に届き、無事を知った万里子は歓喜する。
 そして丸山たちの吉田茂(萩原健一)やマッカーサーへの直訴が功を奏したのか、ついに昭和21年4月、満州からの引き揚げが始まった。
 支援活動のため満州に戻った武蔵はスパイ容疑で拘束され、激しい拷問を受け、九死に一生を得、日本に帰ってくる。
 しかし、万里子たちが帰ってくるまではさらに長い年月が必要だった。
 昭和22年1月、佐世保港では万里子と息子たちを探す丸山、そしてマツたちと抱き合う新甫の姿があった。
 長い戦いを経てついに家族が一つになった瞬間だった。






2018/02/10 第44回50キロ福山夜間歩行!

                                  S49年建築卒 川本勝一
 
 今年も、2018/02/10(土)に[第44回]「50キロ夜間歩行ふくやま」に参加しました。
 
 2/10(土)20時00分スタート福山市役所前⇒ゴール上下支所
 平野部から山岳に向かって実質53.5㎞、標高差408mの夜間歩行に約600名が参加
※今回も記憶に残るイベントになりました。
 昨年も報告させて頂きましたが、今回は「ゴール5時10分着(所要時間9時間10分)、着順:第15号」はいままで参加した7回で最高記録になりました。ちなみに初めて参加した51歳(現在67歳)の時の「ゴール6時53分着、着順:第45号」と比べても達成感を感じております。
 このイベントには「雲外蒼天」の言葉が付きまといます。昨年は後半、雨に見舞われ雨対策を怠り苦戦しましたが、今回は直前まで降っていた雨も止み、好条件な出だしを感じました。でも、私はたまに?強引な判断が災いします。今回は歩行上の注意事項「予備電池装備」を無視して、昨年同様に後半の一番肝心な山中で電池が無くなる天罰がありました。雨上がりで霧もかかった2時間余りは闇夜と氷点下での道路凍結に苦戦し、生きた心地はしませんでした。そんな恐怖と戦いながら母校の校歌、応援歌を大声で叫んで自身を励ましていましたが、ゴール近くの民家の明かりにはまさに九死に一生を得ました。
 ゴール後に聞いた話ですが、数人が道に迷い、「ヘッドランプが無ければ遭難したかもしれない」と言われいました。改めて、自身の強引な判断と不用心さに反省させられました。
 ところで、今回の夜間歩行は二つの思いを持って挑戦しました。一つは今年中に「四国八十八カ所巡礼」達成です。四国遍路用語の通し打ち(一気に巡礼)ではなく、区切り打ち(何度かに分けて少しずつ巡礼)です。3~5回に分けて交通機関を使用しないで1.200㎞を「歩き遍路:約30㎞/日」する予定です。ちなみに、一番札所から順打ちで順拝し、最後の八十八番札所「大窪寺」は昨年12月に他界した母の実家の傍にあります。
 もう一つは、今年4月に福山山岳会(1919設立、会員270名)への入会です。入会案内には、「山行が年に40~50回実施、登山等により体位向上、スポーツ精神を培う、会員相互及び関係諸団体との親善を目的とする歴史あるスポーツ団体」と説明されています。
 今日は前日の筋肉痛が残る中、近くの里山(H225.5m)へウォーキングします。この里山はこの度の夜間歩行の練習場所でしたので、「お礼報告」です。それと4月からの登山準備のためです。特に、初めて装備する登山靴、リュック(32ℓ)に年甲斐もなくドキドキ感とウキウキ感でいます。
 最後になりましたが、今年も皆様とお会いできるのを楽しみにしています。宜しくお願い致します。
   
    (完歩証の受理)                         (完歩証)
 
 毎度のこと、川本さんの行動力には感心させられます。
 今年中に「四国八十八カ所巡礼」達成ですか、それも、交通機関を使用しないで1.200㎞を「歩き遍路:約30㎞/日」するのですか!
 そばらしいです!
 私も、2〜3年前に、月1〜2回の頻度で、四国八十八カ所回りました。(もちろんバスツアーです)
 バスから降りて、お寺まで行くのに「ぜーぜー」言いながら歩きましたが、それを歩き遍路ですか?すごいです。
 是非とも、達成されるよう頑張って頂きたいです!
 また、今年4月に福山山岳会(1919設立、会員270名)へ入会されるとのことです。
 会員の皆様で、登山、ハイキングに興味のある方、川本さん若しくは事務局までご連絡下さい!
 みんなで一緒に歩きましょう! 一緒に登りましょう!
 
 
 

2018/01/25 【箱根駅伝】図書館特別展示!

                                  芝浦工業大学 校友・後援会連携課より

 駅伝出場に絡み、豊洲図書館において、駅伝特別展示が開催されています。
 東京方面に行かれる方がおられましたら、是非ご覧ください!



【期間】2018年1月22日(月)~2018年3月31日(土)
【場所】豊洲図書館 赤丸コーナー横

 豊洲キャンパス図書館への見学をご希望される方がいらっしゃいましたら、下記、校友・後援会連携課までご連絡ください。
 
  【芝浦工業大学 校友・後援会連携課】
   東京都港区芝浦3-9-14
   TEL :03-6722-2910
   FAX::03-6722-2911
   竹田美和子(Takeda Miwako)
   「takedam@ow.shibaura-it.ac.jp」



2018/01/07 矢澤選手の箱根駅伝全公開!

 2018年01月02日、第94回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に、わが母校、芝浦子業大学の矢澤健太選手(土木工学科4年)が、「関東学生連合チーム」の一員として出走しましたが、その模様を全公開します。
 常任幹事の斎藤教男様から、川本副支部長に送信された写真、及び、テレビ放映された画像をもとに作成しました。

*2018年1月9日 大学のホームページから、画像や文書を勝手に、抜きだして、グレードアップしました。

  <オーダー変更が掲示されました。>
 
 
  <スタート前のランニング調整>

 ランニングで体を慣らし、スタートに向けて調整している矢澤選手
(沿道から写真撮影)












                     <スタート前のゼッケン確認に向かう矢澤選手>
 
 スタート前にゼッケン確認に向かう
 矢澤選手!
 調子良さそうですね!
 この時間、テレビではまだ、東大の近藤選手になっています。










<ゼッケンチェックを受ける矢澤選手>
 
 ゼッケンチェックを受ける矢澤選手の
 表情!
 余裕がありそうですね!












                     <スタートラインに向かいちょっと緊張ぎみか?>  

 スタートラインに向かう矢澤選手の表情!
 さすが、ちょっと緊張気味か?
 神経を集中している様子!

 
 

 
 

 
 

 
   
<スタートラインに付く各選手>

 
 

 

 

 

 

 

 

                     <スタート前に矢澤選手時計のセット(右端後方)>

 スタート直前、時計のセット、さあスタートだ!
 

 
 


 

 
 


 
<一斉にスタート(右端が矢澤選手)>           (右から2番目が矢澤選手)












                     <スタート直後の走行(右端)>
 
 さあ、走ってくるぞ!















 
<集団にくっついて懸命に走行>

 
 2キロ過ぎたころ、懸命に集団について走る矢澤選手!

 

 

 

 

 

 
                     <中々調子がいいぞ!(左寄り後方)>

 調子良さそう!
 表情もいいですね!

 

 

 

 

 

 
<芝浦応援団>
矢澤選手の出場が急きょ決まり、大学からの呼びかけに応じて、多数の応援団が集まってきました。
 いつ、出場と言われても良いように、みんな待機しており、スタートまで1時間という直前での告知でしたが、区間中の応援ポイントには学生や卒業生、教職員など約200名以上が応援に駆けつけ、矢澤さんに大きな声援を送りました。  

 

   
<芝浦応援団の前を走行>

 田町駅前!
 カーブをまがって、芝浦応援団の前を走行!
 

 

 

 

 


 

 
<通り過ぎた矢澤選手を見守る芝浦応援団>

 通り過ぎた矢澤選手(左寄り後方)を見守る芝浦応援団が映っています!
 

 

 

 

 

 

   
<懸命に走る矢澤選手>

 6キロ過ぎ、懸命に走る矢澤選手!
 

 

 

 

 

 

 

                       <少し遅れたた矢澤選手>

 少し遅れ始めました!
 もともと、エースクラスの走る第一区、他の選手との持ちタイムの差もあり、無理してついて行かず自分のペースを守るため、遅れ始めました。

 

 

 

 

   
<先頭集団に離されないよう懸命に走る矢澤選手>

 それでも、先頭集団に離されないよう懸命に走る矢澤選手! 
 

 

 

 

 

 

 
                       <八ツ山橋、芝浦応援団の前を走行する矢澤選手>

 八ツ山橋、芝浦応援団の前を走行、応援団の声援に力をもらい激走する矢澤選手
 

 

 

 

 

 

   
<沿道からの応援を受けて走る矢澤選手>

 沿道から「矢澤がんばれ!」の温かい声援を受け、懸命に走る矢澤選手

 

 

 

 

 

 

<鎌田付近で待機する芝浦応援団>

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                     <鎌田をを走行する矢澤選手!あと残り5.9Km>

 残り6キロを切った、頑張れ矢澤!
 

 

 

 

 

 

 
 
<まもなく鶴見中継所!>

 まもなく鶴見中継所!あとひと踏ん張り、頑張れ!



 

 

 

 

 


                     <矢澤選手の姿が見えてきました>

 矢澤選手の姿が、見えてきました。
 矢澤選手を待ち受ける、第2区走者、専修大学の長谷川選手

 

 

 

 

 

   
<最後の力を振り絞って走る矢澤選手!>

 最後の力を振り絞り、第2区走者長谷川選手に向かって、懸命に走る矢澤選手!

 

 

 

 

 

 

                       <次走者長谷川選手へのタスキ渡し>

 次走者長谷川選手へタスキ渡し!
 ついに、箱根駅伝、完走したぞ!

 

 

 

 

 


<ポンと背中を叩いて、頼んだぞ!>














<無事タスキを渡し、長谷川選手と並走!>

 無事タスキを終え、「頑張ってくれ!」と長谷川選手と並走!

 

 

 

 

 

 
 
                     <長谷川君、次頼んだぞ!>

 「長谷川君、次頼んだぞ!」と見送る矢澤選手!
 
 
 
 

 

 

 

 
<終了後部員たちに迎えられ!>

 

 終了後、検討をたたえられ、笑顔で迎えられています。
 










 今年正月の「箱根駅伝」で、我々芝浦工業大学OBに勇気と感動を
与えてくれた矢澤君

    
「ありがとう!」
 
<大学のホームページより、芝浦史上初の快挙>
 矢澤健太さんは、関東学生連合チームで補欠エントリーされていましたが、当日のエントリー変更により急遽1区を走ることとなりました。午前8時にスタートし、8:14分頃には芝浦キャンパス近くの田町駅付近を通過。スタートまで1時間という直前での告知の中、区間中の応援ポイントには学生や卒業生、教職員など約200名以上が応援に駆けつけ、矢澤さんに大きな声援を送りました。その結果、1時間4分50秒というタイムで無事に2区へとタスキを繋ぎました。 今回、本学史上初の快挙となる箱根駅伝への出場。矢澤さんは自己ベストに近いペースで走り抜き、見事な力走を見せました。

<本人コメント>
 当初補欠で、エントリー変更は12月31日に聞かされ、驚きましたがずっと準備はしていたのでどの区間でも走ってやろうと思っていました。箱根駅伝のスタート地点は独特の雰囲気で、少し緊張しました。レースは、スタート後から速いなという印象でしたが、自身の調子は悪くなく、序盤はほぼ自己ベストのペースで走ることができ、後半も粘ることができました。持っている力は出し切れたと思います。沿道では大学の応援の旗や名前をたくさん呼んでくださる声援も聞こえ、励みになりました。今回大学としても初めて箱根駅伝に出ることができ、後輩にもその姿を見せることができました。頑張れば自分たちでもできる、と自信を持ってもらいたいです。 多くの方々の応援のおかげで、箱根駅伝を走り、タスキをつなぐことができました。本当にありがとうございました。

<味澤善朗監督コメント>
 急な変更で、しかも1区という各チーム準エース級が揃う区間にもかかわらず、矢澤はよく走ってくれたと思います。あの大舞台で力を出し切れたことが何よりです。チームとしても今後につながると思います。

<スポーツ報知、インターネットより>
【箱根駅伝】芝浦工大・矢沢健太「まさか箱根を走れるなんて」
           高校は剣道部 東大・近藤インフルで出場決定!

 箱根駅伝は上位校以外の選手もさまざまな思いを抱えて走っている。スポーツ報知では往復路の両日、そうした選手にスポットを当て紹介。
 往路はオープン参加の関東学生連合1区の矢沢健太(芝浦工大4年)、所属する大学から初の箱根ランナーとなった。
 矢沢は急きょ巡ってきた1区に持てる力の全てをぶつけた。「走れなかった近藤の分も頑張らないといけないと思って、気持ちで走った」。10キロ付近まで自己最速を上回るペース。次第に足に重さを感じ集団から離されたが、最下位にもかかわらず自分の名前を呼ぶ沿道の声に励まされ、最後まで気力を振り絞った。
 芝浦工大から初の箱根ランナー誕生が決まったのは2日前だった。東大・近藤秀一(3年)がインフルエンザを発症。昨年10月の予選会は9位だったが、選考会1万メートルとの合計タイムで10位と0・58秒差の11位に後退した矢沢に出番が回ってきた。
 近藤からはLINEで「迷惑かけてすいません。0・58秒で落ちた矢沢さんのことを陸上の神様は見捨ててなかったと思います」と託された。
 走ることは好きだったが、小学5年から高校までは剣道部。大学で思い切って入部した陸上部で素質が開花した。
 「構えの時の重心を意識する動きや踏み込みは生きている」と剣道の経験も強みに変えた。
 部員の約半数が初心者で年々、新入部員の勧誘に苦戦している。「高校の時、まさか大学で箱根を走れるなんて思ってなかった。芝浦からも箱根に行けるということを見せられた」。
 初心者から4年で箱根へ。不可能はないと証明した1時間4分50秒が、次の世代につながる。(林 直史)


<第1区矢澤選手の写真> クリックすると拡大します。




2018/01/02 芝浦工大矢澤選手箱根駅伝出場!

 2018年01月02日、第94回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に、わが母校、芝浦子業大学の矢澤健太選手(土木工学科4年)が、「関東学生連合チーム」の一員として出走しました。

 
 1区を走る予定だった、東京大学近藤秀一選手がインフルエンザで出場できなくなり、補欠候補一番手の矢澤健太選手が急きょ出場することになりました。
 各校、エースクラスの走る重要な第一区を任され。プレッシャーもあったかと思いますが、自己ベストを上回る速さで懸命に走りました。
 ハーフの持ちタイム「1時間5分29秒」ですが、それよりも長い距離のこの区間を「1時間4分50秒」走り抜けました。
 ただ、エースクラスの他校選手には及ばず第21位で2区にタスキを渡す結果となりました。
 懸命に走っている矢澤健太選手に感動させられました。
 矢澤選手、ありがとう!
関連記事 → 芝浦工大初の箱根ランナー・矢沢、急きょ1区起用に「六郷橋越えてからは本当にきつかった」



2017/12/27 「爺バカ」孫が生まれました!

                                  S45年工経卒 佐々木健兒
 先月下旬に4人目の孫が生まれました。
 もらい手がおらず、昨年やっと結婚できた高齢の娘の子です。

 生まれてすぐです!おばあちゃんに抱っこしてもらってます。
 みんなに男顔と言われますが、わたし、女の子です!
 間違わないでください!








 今までの3人の孫は、息子の子であり、生まれて、1か月間は嫁さんの実家に行ってしまうのですが、今回の孫は退院したら、我家で暮らすことになりました。
 早速、ベビーベットに寝せつけます。
 殆ど寝ているのですが、寝顔を見ても飽きません。
 寝ていても可愛い、泣いても可愛い、しゃっくりしても可愛い、何をしても可愛いです。
 朝起きると、最初に孫の顔を見に行きます。
 孫の目が私を追ってくるようで、これ絶対見えとるど~、
 なにゆうとるんね~まだ1か月もたたんのに見えるわけないじゃない!
 お爺ちゃんの臭い(加齢臭)も馴れんとダメよ!お爺ちゃんだいすきーって言うんよ!
 そうしたらお小遣い貰えるから!と孫に言ってます。
 「声が大きい!」「ドアをもう少し静かに閉めて!」と、家内からは怒られてばかりです。
 そんなにぎやかな生活もあっという間に過ぎて、孫は娘と一緒に自分のマンションに帰りました。
 にぎやかだった我が家も、家内と2人だけになり気が抜けたような暮らしに戻りました。
 
 マンションに帰った娘は、早速、孫を、おもちゃにしています。








2017/12/22 箱根駅伝出れるかも!

 10月14日、第94回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の予選会が、陸上自衛隊立川駐屯地、国営昭和記念公園で開催され、わが母校、芝浦子業大学体育会陸上競技部駅伝ブロックが、出場全49チーム中、過去最高となる30位の結果を残しました。

 (雨の降る中、状況を見守って応援しています。)    (芝浦工大応援団の中、懸命に走っています。)
 
 タイムも、10時間51分51秒と、昨年マークした11時間3分58秒というチーム最高記録を10分以上更新し、11時間を切るという目標を達成しました。
 もう一つの目標であった20位台まではあと1秒と、悔しい結果ともなった今年の予選会でした。
 そんな中、チーム最高タイムでゴールした矢澤健太さん(土木工学科4年)は、「関東学生連合チーム」の一員として出走する可能性が出てきました。
 
  (チーム最高タイムでゴールした矢澤健太選手の懸命な走り!)
 
 箱根予選会9位でしたが、11/25の1万m選考会で16名中12位となり、総合順位がわずか0.57秒差で、11位になり、本戦10区間走者には選考されませんでした。
 しかし、補欠候補1番として、可能性は残されています。
 
 箱根駅伝は2018年1月2日(火)・3日(水)、朝7時から地上波の広島テレビで生中継されます!
 その時エントリー変更があって矢澤選手が、走る可能性もあります。
 出場できるようになったら、みんなで応援しましょう!



2017/12/12 「山登り始めませんか・・」勝手に投稿!

                                  S45年工経卒 佐々木健兒
 副支部長川本さんより「山登り」の話があり、勝手に投稿しました。
 川本さんも本格的に登山をやっているわけではなく、やってみたいという思いから、大竹の三倉岳(添付ファイル)に元会社OB会のイベントに参加されました。
 まだ始めたばかりで、近所の里山(添付ファイル)に登り、登山練習している方に色々と教わっている状況です。

 「山登り」や「ハイキング」をやってみたいと思われる方がおられれば、支部活動の一環として具体的に計画を立て、進めて行きたいと思っています。
 希望される方、その他ご意見等頂ける方がおられましたら、事務局佐々木(携帯:090-4106-7080、メールアドレスsip@athena.ocn.ne.jp)までご連絡下さい。

(大竹の三倉岳にて)

 写真の一番左側:東京山岳部に所属の80歳、左から2番目:大阪山岳部71歳

(近所の里山にて)





2017/12/04 ゴルフを愛する皆様へ報告

                                  S49年建築卒 川本勝一
 凄いプレーヤーを紹介させて頂きます!
 昨日(12/3)は月例に参加し、昭和5年、16年、20年生まれのメンバーとご一緒させて頂きました。
 まずは、昭和16年生まれの方がホールインワンをされました。その方は膝内に金属ボルト挿入の療養中でしたが、まさに筋金入りの偉業達成で、保険金\50万円ゲットは羨ましい限りです。
 もっと、凄いのは昭和5年生まれの方で、今までホールインワンを8回されているそうです。
 その方は50歳からゴルフを始め、70歳の時に初めてエージシュートを達成し、その後は主に5つのメンバーズコースにおいて800回以上されているそうです。
 プレー終了後、昨年までのエージシュート:スコアリストを見せて頂きましたがほとんどが月例等の競技会で達成されてました。
 最近はスコアよりも皆さんと一緒に楽しく回りたいと80歳からのティーグランドではなく、同伴者と同じ70歳からのティーグランドでプレーされてました。それにもかかわらず当日もまさにエージシュートされました。恐れ入ります!
 そんな方ですから、話される事に重みがあり、耳をダンボにして色んなことを教わりました。集大成として「ホールインワン10回、エージシュート1.000回を目指す」と少しか細い声で話されてましたが、鋭い眼鏡から意気込みを感じました。米寿を迎えられたとは思えません!
 我々の身近にもその方と同じように素晴らしいゴルフ歴をお持ちの「鈴木研介」さんがおられますが、鈴木先輩も昭和5年生まれの方も極められた達人は年齢なんて関係ないと改めて「ウルマンの青春の詩」を思い起こしました。
 報告が長くなりましたので、私の昨日の成績は割愛させて頂き、本日(12/4)は校友会常任幹事会(於:芝浦キャンパス)18:30~出席します。
     



2017/10/06 あれ~評議員に名前がない!!

                                  S45年工経卒 佐々木健兒
 昨日、芝浦工業大学卒業生評議員の公示がありました。
 広島支部から、中国ブロックの代表として川本副支部長が立候補されました。
 我々支部会員も必死になって応援していました。
 川本副支部長は、大学や広島支部の発展のため、熱心に活動され、我々も当然評議員になるものだと思っていました。
 ところが、昨日の芝浦工業大学卒業生評議員の公示された中に、川本勝一の名前がありません。 え~
 今回から卒業生評議員の選考方法が変わり、評議員選考委員会の選考委員の投票によって選考されると聞いていました。
 我々の応援が足りず、得票数が足りなかったのだろうか?
 それとも、他に理由があったのだろうか?
 支部長か本人に選考から漏れた理由について、正式に連絡があったのだろうか?
 後日、機会があったら聞いてみようと思います。
  残念です!!
 
 
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